福岡県立城南高等学校

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令和2年度 創立記念式典

 ※本年度はコロナ禍の影響により、従来の形態での該当行事は実施しておりません。
 創立記念式典の「校長式辞」を以下に掲載します。
 
 

 

第五十七回創立記念式典式辞      令和二年十一月二日

 

秋風の吹く爽やかな今日の佳き日、城南高等学校創立57周年を祝福できますことは誠に喜ばしく、心から感謝申し上げます。そして、本日ここに城南生諸君並びに本校教職員とともに、この時間を共有できますことに大きな幸せを感じております。

本校は、昭和39年、全日制普通科高校として、その歴史を刻み始め、地域の進学校として30年間の磐石の発展の基礎の上、平成7年に「城南ドリカムプラン」をスタートさせ、翌年、普通科理数コースを設置、平成22年には文部科学省スーパーサイエンスハイスクール支援事業に指定され、爾来、キャリア教育のパイオニアとして時代の最先端を走ってまいりました。その長い歴史の中で、時代は大きく変わりましたが、常に先を読み行動する「ドリカムマインド」とSSHをはじめとする様々な取組を通して培われる「未来を切り拓く力」をもって、広く社会への貢献を志す有為な人材の育成に力を尽くしてきたところです。

さて、暑かった夏の日差しも影を潜め、すっかり秋となりました。抜け毛の季節です。コロナ禍で密を避けるかのように薄くなりつつある私の髪の毛ですが、先日スーパーに買い物に行ったときに、うちの家内が「シャンプーが切れたので、育毛シャンプーでも買おうか。効果あるかもよ」とニヤニヤしながら言ったので、「そんなものいらん!」とつっぱねたのですが、数年前のアルバムの自分の写真を見ながら、今年の秋が私にとって、大切な季節であることを再認識した次第です。

こんな話はどうでもいいのですが、ところで、皆さん、古典芸能の一つに落語があります。落語といえば、演芸バラエティ番組「笑点」。日曜夕方、日本テレビ系列で放送されています。民放のテレビ番組の中で最も長く放送されているのは、「キューピー3分クッキング」。私が生まれた1962年からやっているので59年目です。それに続くのが「笑点」。1966年に始まり今年55年目、年齢でいえば54歳です。ドラマ「半沢直樹」の視聴率が30%を超えたと話題になりましたが、「笑点」の視聴率は10月第2週分の集計で16.2%。ランキングでいえば第4位。今、社会現象を巻き起こしている「鬼滅の刃」の土曜プレミアム第一夜『兄妹の絆』が同じ週にあって第2位16.7%ですから、同じ16%代をキープしているのは立派なことです。しかもその54歳の番組がこれだけの数字を保っていることを考えると驚異的です。サッカーでたとえれば、53歳で現役を続けるキング・カズこと三浦知良選手が、来年Jリーグのベストイレブンに選ばれるようなものでしょうか。他の古典芸能が存続の危機にさらされる中、なぜ落語はすたれないのか。

現在の落語界発展の最大の功労者と言われているのは、7代目立川談志。落語の寿命を百年延ばしたとも言われています。実は、先ほど話をした「笑点」は立川談志が企画し、初代司会者としても出演したテレビ番組です。それまで落語といえば、寄席でやるものと決まっていました。その伝統を捨てて、お客さんがたくさん入り、テレビ放送しやすいホールでやる。30分番組の前半を漫才、漫談、マジックなどの演芸、後半を落語家による大喜利という形式にしたのです。

談志といえば、落語界の異端児、反逆児と呼ばれ、数々のエピソードがあります。自分の弟子が落語協会の真打昇進試験に落とされたことで、それまでに協会に対して持っていた不満が爆発。所属していた落語協会を脱退し、落語立川流を創設し家元となる話とか。35歳のときに参議院議員に当選。その後沖縄開発庁政務次官に任命され、二日酔いで記者会見に出席して大問題に。記者の「公務と酒、どちらが大切なんだ」の問いに「酒にきまってんだろ」と言い放ったという話とか。議員時代、談志が、後の総理大臣の大平正芳から自宅の購入のため3千万円を借金。ところが利子分が引かれた額しか振り込まれず、怒った談志が大平に向かって「利子のつく金なら、俺はいくらでも借りられる。利子のつく金なんて、借りたくもなんともねえ」と啖呵を切ったところ、大平は「悪かったなあ。利子をつけんと、君のプライドに触るんじゃないかと思った」と言い返され、参ってしまったという話とか。後ろの車にクラクションを鳴らされて、相手の暴力団員とケンカになり、刃物で額を斬りつけられて入院。見舞いに来た友人が、横一文字に開いた傷口に百円玉を入れようとしたのに対し、「オレの頭は貯金箱じゃねえ」と言ったという話とか。この手の話が山ほどあります。談志は、持ち前の勝気な性格からか、自由奔放で毒のある発言を繰り返しては、いたるところでさまざまな反発や事件を生んできた人物、いわゆるトラブルメーカー、周りにいたら面倒な人です。私自身、ふざけた奴だなと思っていたので、談志という人物に対して、どちらかといえば悪いイメージを持っていました。

しかし、あるエピソードを聞いたときにイメージががらりと変わりました。『富久』という落語があります。談志の十八番(おはこ)、得意の噺でもあります。酒の席で場を盛り上げる仕事、太鼓持ちの久蔵が主人公。久蔵は、仕事の失敗から取引先の出入りも禁止されて、収入が減ったので、一発当てようと富くじ(現在の宝くじ)を買って神棚にあげ、当たるのを祈ります。ある晩、元の取引先の越後屋で火事が起きたことを知り、手伝いに駆けつけると出入りを許されるようになり、お酒を振舞われます。すると、案の定飲み過ぎて寝込んでしまいます。寝ていると、火事を知らせる鐘が鳴り、今度は久蔵が住んでいる長屋が火事になり、久蔵の部屋も燃えてしまいます。全てを失って、無一文から仕事をやることになったとき、富くじの抽選の発表があり、何と久蔵に一等の千両が当たります。よろこんで、受け取りに行った久蔵でしたが、くじは火事で焼けて、ないので、賞金はもらえません。意気消沈して、久蔵が家に戻ると、火事が起こったときに知り合いが神棚を運び出してくれていたことががわかります。あけてみるとそこに富くじがあり、大喜び。「当たった千両をどうするんだい」と聞かれて、久蔵が「これも神様のお陰。ご近所のおはらい【お祓い/お払い】をいたします」というオチで終わるという話です。

国立演芸場のひとり会で、談志がこの『富久』の噺をしたときのことです。噺が終わっても幕を降ろさせず、談志がこう言いました。「非常にいい出来だった」と。これを聞いてみんなジーンとしましたが、その後「今日は、久蔵に富(くじ)が当たって本当によかった」と。

普通に考えると、落語の噺はストーリーが決まっていますから、誰がやっても、またいつやっても、『富久』であれば、久蔵に富くじが当たります。だから、みんな「えっ、何でそんなこと言うの」という反応でした。それについて、談志は後でこう説明しています。「やってて出来がいいときは登場人物を操っている自分が後ろにいるんです。今日の出来はやってる最中にあまりにも久蔵が悲惨な目に遇ってて、こいつにやっぱり、千両でも当てさせてあげたいなって気持ちに、後ろにいる自分がなったんで、そういうふうに言ったんですよ」と。常に演じてる自分を見てるもうひとりの自分がいて、こうやったほうがいいよ、こうなんじゃないのと意識して演じるということです。この話を聞いて、天才立川談志の芸はここまで達していたんだと改めて見直しました。スポーツで言うところの「ゾーンに入る」です。(本当は別の選手の言葉だそうですが)打撃の神様と言われた赤バット川上哲治氏が言う「ボールが止まって見える」状態。例えがちょっと古過ぎましたか。では、竈門炭次郎が「全集中、水の呼吸」と言って、鬼に切りかかるとき、「隙の糸が見えた」状態。つまり、刀の先から相手の弱いところ、スキに糸が伸びていき、切り込む軌道が見える状態です。

そういえば、アメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイが「フロー理論」として、この「ゾーンに入る」現象を分析しています。フローの状態、ゾーンに入ると起こる現象がいくつかあります。一つは、「行動に対する即座のフィードバックがある」ということ。フロー状態にある人は、自分がどの程度うまくやれているかを自覚します。談志の「やってて出来がいいときは登場人物を操っている自分が後ろにいるんです」が、正しくこの状態です。そしてもう一つは、「時間感覚が歪む」ということ。時間が経つのを忘れて、数時間が数分のように感じられたり、逆にほんの一瞬の時間が引き伸ばされて感じるということです。「ボールが止まって見える」がこれに当たります。立川談志の芸への厳しさ、そして、そのクオリティの高さに改めて驚くとともに、落語に対する真摯な取組の態度に感動さえ覚えます。

私は、城南高校に勤めるようになって、落語家立川談志の生き方について、気付いたことが二つあります。一つは、「全てを疑え」という談志の言葉の意味です。談志は、終戦を体験しています。戦時中まで、国のために尽くすことを教育されていたのに、戦争に負けた途端、いきなり全て否定されます。その経験から、どんなによいと言われていることも、疑ってかかるようになります。落語協会の昇進制度に疑問を感じたのも、落語家が寄席にしか出ないことに危機感を持ったのも、その発想が原点です。これは、城南の総学や総探でやるクリティカル・シンキングの実践に他なりません。談志は、人生をかけて、クリティカルな姿勢を貫いたと言えるでしょう。

もう一つは、談志の持っている革新性です。談志の名著『現代落語論』の中で、談志は「落語は、師匠に教わった通りをなぞっているだけでは、先細りになって、時代に取り残される。古典的な型をただ継承するだけの能や狂言と同じ道を辿ることになる」と述べています。談志のもう一つの十八番(おはこ)、『芝浜』では、最後の場面でサゲ(オチのこと)を、より効果的にするために、自分なりの解釈を加えます。登場する人物像を変えたり、台詞をいう人を変えたりします。『芝浜』と40年近く格闘し、亡くなる4年前に行なった『芝浜』が最高峰と言われています。これも城南の「進取の気象」「未来を切り拓く力」、そのものです。

 

 さらに、談志は人と違ったこと、新しいことを行なうことの前提として、こんなことを言っています。「型ができてない者が芝居をすると型なしになる。(中略)型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。(中略)結論を云えば型をつくるには稽古しかないんだ」と。談志は落語界に革命を起こしましたが、自分の芸を磨き続けるだけでなく、弟子にも大変厳しく熱心な指導を行ないました。古典芸能の持つ伝統とは、芸への厳しさであると確信していたのだと思います。立川志の輔・志らく・談春など談志が育てた弟子たちが、現在さまざまな分野で活躍しているのも師匠の厳しい指導があったからこそです。実力に裏打ちされた革新こそが成果を収める。「なぜ落語はすたれないのか」に対する答えはこれです。

このことを城南生にあてはめてみれば、ドリカムプランやSSHをはじめとする先進的な学習で学んだことを生かすためには、稽古、つまり普段の授業と自らの努力しかないということです。城南高校の伝統を支える原動力は、ここにあると考えます。

 

最後に、「笑点」の大喜利にちなんで、なぞかけを一つ。

 

創立記念日(とかけて) 育毛シャンプー(ととく)

(そのこころは) どちらも こうかをうたって【校歌を歌って/効果を謳って】、昔を懐かしむでしょう。

 

生徒諸君が、城南高校の伝統の継承者とならんことを祈念しつつ、式辞とします。

 

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